守るものが増えると臆病になる
子どもが産まれてから様々な人のあたたかさに触れる一方で、凶悪な犯罪のニュースや戦争のニュースを見ると心拍数が上がって眠れない夜を過ごすことも増えた。
有事が起きたらどうやって子どもたちを守ればいいか。
今、家に強盗が来たらどうすればいいか。
将来、子どもたちが犯罪者にならない、犯罪の被害者にならないために私には何ができるのか。
そんなことを日々考えている。
全てが杞憂であることを願いながら。
ちょっとセンセーショナルなニュースを見る度に一々こんな調子なので、ともすれば自律神経のバランスを崩してしまう。
特に生理前は精神的に不安定になりやすいので、より増長する。
元々HSP気味なのもあって、余計に色々考えてしまうのもある。
一方で、夫は能天気というか、物事を深く考えるタイプではなく、人の心の機微に非常に鈍感なので、そんな夫に腹が立つこともあれば、羨ましくもある。
夫は若干アスペルガー気味なので、HSP傾向のある私とは真逆と言ってもいいくらいの性格だ。
そのため共感してもらえないことばかりなのだが、私があれこれ悩んだり落ち込んだりしている時には励ますどころか「また何か悩んでんの笑」と呆れられることが多い。
以前はこんなことを言われようものなら「何で共感してくれないんだ!」とイライラしたものだが、最近はむしろ、私を深淵な悩みの底から現実へと引き戻してくれているように思う。
そんな時、この人と結婚したのはこのためだったのかもしれないと思うこともある。
先日、Twitter(私は初期から「Twitter」ユーザーなので頑なにXとは呼ばない)で、夫のような人間を「光のアスペ」と形容しているツイートを見て「これだ!」となった次第。
アスペルガーのような特性をもつ人間がこれまで人類から淘汰されていないのは、私のような人間に求められてきたからだろう。
話が脱線してしまったが、最近の世界情勢や日本を取り巻く状況を見ていると、子どもたちに対して、本当にこんな世の中に産み出してしまってごめん、と反出生主義的な考えが頭をもたげてくる。
子どもを作るのは親のエゴ以外の何ものでもなく、産んだ以上は子どもたちがこの世界で幸せに生きられるようにすることは親の最低限の義務だと考えている。
だが、親がコントロールできる範囲には限りがあり、世界情勢などは全くもって手のつけようがない。
となると、そもそもこの世の中に産み出さないことが最大の愛であると考える人間が出てきても不思議ではない。
そう、だけど、親のエゴであることは百も承知の上で、やはり子どもはかわいくてありがたい存在なのだ。
子どもがいなければ見えなかった世界が確かにあって、その世界を見せてもらっていることが本当にありがたい。
だから、今日も私は臆病な母親として子どもたちを全力で守るのだ。