カルト宗教二世の苦しみ
7月8日11時40分。
息子とテレビを見ていたら衝撃的なニュース速報が映し出され、現実のこととは到底思えなかった。
18時前にはついに訃報が流れ日本中が悲しみとやり場のない怒りに包まれた。
政治的なことはよく分からないのでここでは一切触れないが、犯人の動機がカルト宗教二世が故のものと知り、なんとも複雑な想いが巡ったので子供の頃の自分を慰める意味も込めて少し自分自身のことを振り返ってみたいと思う。
元カルト宗教二世の私
私は「元カルト宗教二世」だ。
「元」というのは、もう母がその宗教を信仰していないからだ。
ある日突然呪縛が解けたと言ってもいい。
だが、私自身はいまだに、あれはなんだったんだろうと時々思うし、勝手にスッキリサッパリ足を洗ってほとんど悪びれる様子もなく自由奔放に生きている母にほとほと呆れている。
物心つく前から母の信仰に付き合わされ、子供心に不自由さと違和感を覚えていたのに、子供が故にその違和感を言語化できず、言語化できたところで親の管理下にあるうちは圧倒的に無力で何もできず従うしかない虚しさ。悲しかったよね、子供の頃の自分よ。
まぁ要するに今流行りの親ガチャという概念に当てはめれば、私の場合はこの点において若干ガチャ失敗と言ったところだろう。
ただ、親子と言っても所詮他人だし、全く違う人格を持っている。
親だから「できた人間」というわけでもないし、ましてや「エラい」わけでもない。
親に対して聖人君子であることを求めるのは到底無理だし、酷だ。
だから結婚して距離ができた今では客観視できて、まぁ仕方ないか、と思えるようにはなった。
母について
簡単に私の母を紹介しよう。
私の父は、母と結婚してすぐに浮気し(実際いつから浮気していたのかは分からないが)、ほとんど家に帰って来なかったという。
母は私を妊娠している頃から大変な思いをしていたようで、ある人物に相談していたらしく、その人から宗教に勧誘されたらしい。
ここから母の約20年にわたるカルト宗教どっぷりライフが始まったわけである。
私自身、息子を出産し、子育ての大変さを日々痛感しているので、見知らぬ土地で母と乳飲み子だけが置かれれば、母が不安定になったことも理解はできるが、だからと言ってなぜ宗教にハマるのかという心理的なメカニズムはやはりよく分からない。
母はその後すぐに離婚し、実家に戻ったが、私が10歳の時に再婚し、そして妹が産まれ、私が20歳の頃に再び離婚した。
今は実家の近くで高校生の妹と二人で暮らし、自営業でバリバリやっている。
母の人生は客観的に見れば波瀾万丈。私から見れば単なる台風の目である。
常に母を中心とした台風に曝され振り回されてきた。
母がハマったカルト宗教
特定を避けるため宗教名や詳しい教義、固有名詞は明示しないが、ここでいうカルト宗教は仏教系とだけ言っておこう。
とにかくこの宗教は先祖がどうたら、因縁がどうたらと言って数万〜数十万円する物品を購入させたり、儀式を受けさせたりしていた。
母も例に漏れず様々なものに課金していた。
その他、
- 毎日15分ほどお経を唱えさせられた
- 月に一度、地域の拠点で法要があり車で2時間かけて行った
- 年に一度、大きなイベントがあり、遠路はるばる遠征した
- 日々の言動は教義に沿ったものを求められた
これらを押し付けられ、とにかく付き合わされた。
いまだに悲しい、というか切ない思い出となっているのは、月に一度、地域の拠点での法要に行かされたことである。
私が住んでいた地域には大きなショッピングモールや遊園地などはなく、拠点のある地域にはそういったものがたくさんあったので子供の頃の私はそこに行くと聞けば遊びに行けると期待していた。
しかし、行くのは宗教の施設。嫌々参拝させられ、おじさんやおばさんに声をかけられ、母の用事が済むのをじっと待つしかない。最悪だった。本当に最悪。
また、母は、特段法要などがない時でも用事のついでに少しでも時間があればその施設に寄りたがった。
今日?今から行くの?買い物に行けないの?と何度思ったことか。
今思い出しても子供の頃の私が遊びたくてたまらなかったのが痛いほど分かる。
現在、妹は母と楽しく映画を見に行ったり買い物をしに行っているというのを聞いて、私も純粋にそういうことがしたかったんだよなと悲しくなる。
課金の総額は一体いくらになっていただろう。
恐ろしくて聞くこともできないが、そのお金を教育資金として貯めてくれていればと思うと、もう少し大学時代に借りた奨学金の額を減らせたのではないかと、どうにもならないタラレバを募らせてしまう。
なぜカルト宗教にハマるのか
なぜカルト宗教にハマるのか。
私はハマった本人ではないので本当のところは分からない。
本人の気質によるところもあれば、育った環境によって捻じ曲げられた認知機能による部分もあるだろう。
母曰く、母の母、つまり私から見た祖母の育て方の影響も少なからずある。
もっと愛情が欲しかった。子供たちの前で父の悪口を言ってほしくなかった。
……などなど。
しかし祖母自身も愛情不足で育ち、愛し方が分からない。
よく、虐待は連鎖するというが、愛情不足も連鎖するのだ。
こうして生きづらさを抱えた母は、男性を見る目が育っていない上に、そりの合わない祖母から逃げたい一心で結婚に走り、結果的に結婚生活に二度失敗した。
根本に愛情不足と生きづらさを抱えた母は孤独感を募らせ、「なぜ自分がこのような状況にあるのか」というその原因を探りたくなったのではないだろうか。
そこで出会ってしまったのが宗教だったわけだ。
人は、原因不明の痛みや苦しみに名前がついた途端少し気持ちが楽になることがある。
これと似た感覚なのではないだろうか。
「あなたが苦しいのは成仏していないご先祖様がいるからですよ」
「あなたは前世で悪いことをしたから今苦しんでいるんですよ」
といった具合に。
何事も捉え方次第で気が楽になるのは事実なのでそれで救われるのはいいのだけど、ここで終わらないのがカルト宗教の恐ろしさ。
「ご先祖様を供養してあげたらあなたの苦しみも解かれますよ」
「現世で功徳を積めば来世でもっと楽に生きられますよ」
ってね。
普通の感覚であれば「なんやそれ」ってなることも、一人で悩んで絶望して迷い切ってしまった人間というのはあっという間にこの理屈に洗脳されてしまうのよね。かなしいかな。
孤独感の強い人間は「話を聞いてもらえた」というだけでも簡単に心を開いちゃうしね。あぁいいカモだ。
だから母が入信してしまったことに一定の理解はできる。
当時の母の状況なら仕方なかったんだねと。
二世の苦しみの本質
それで、入信するのがその悩んでる張本人だけならまだいい。
ところが結局、宗教団体は金儲けしてナンボだから家族や友人を巻き込ませようとする。
これがタチが悪い。
大人ならまだ判断力があるから拒否もできる。
子供なら?
ひどいと胎児のうちから勝手に登録されてたりするんだから全く手の施しようがない。
本人の意思なんか完全に無視。
仮に拒否できる年齢であっても親の庇護のもと生きるしかない子供には実質拒否権なんてものはない。
100%被害者。
本人が入信を望んでいないのなら、子供の人格や人権を無視した立派な心理的虐待だと思う。
だから、カルト宗教二世の苦しみは痛いほどよく分かる。
縛られて振り回されて嫌というほど無力感を味わわされる。
私の周りにいたカルト宗教二世の子たちは、妙に気持ち悪いくらい純朴で「良い子ちゃん」が多かった気がする。
子どもらしさを奪われるからかな。
とはいえ、私の場合は母や宗教団体を心底恨むほどには至っていないし、たとえ恨んでいたとしてもそれが他人を傷つけていい理由には絶対にならない。
しかし、今回の事件は一人の尊い命と引き換えにものすごく大きな問題提起をしているように思う。
今まで信教の自由として見過ごされてきたカルト宗教二世。
この苦しみを一人でも多くの人が乗り越え、これ以上望まぬカルト宗教二世が生まれないことを切に願う。