もういいかい、もういいよ
【「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ】
俵万智さんの歌である。中学生の頃の担任が国語の教師で、俵万智さんが好きらしく、よく学級通信などに歌を載せていた。
この歌を初めて知ったとき、疑う余地なく「たしかに」と得心し、じんわりとあたたかい気持ちが広がったことを覚えている。
今、とある大きめの団地に住んでいるのだが、放課後の時間になるとマンションの棟と棟の間にある遊び場から子どもたちが元気に遊ぶ声がベランダを越えて聞こえてくる。
「みんなしゅーごー!」
と聞こえたかと思えば、かくれんぼをしているらしく、
「もういいかぁーーい」
「まぁだだよ〜」
「もういいかぁーーい」
「もういいよ〜」
という声が聞こえてくる。
いつの世も、どの世代にも少なからずいじめに類するものはある。
あからさまないたずらや嫌がらせであることもあれば、陰でこっそりとじわりじわりとダメージを与えていくようなものもある。
とくに近年は、SNSの利用に伴うものが増加しているというが、閉鎖空間になればなるほど周囲の目は届きにくくなるだろう。私が中高生の頃にLINEがなくてよかったと心底思う。
そんな中、近所から子どもたちの仲良く元気に遊ぶ声が聞こえてくると、ほっこり幸せな気持ちになる。
ただ、
「もういいかぁーーい」
と聞こえた後、
「もういいよ〜」
が聞こえてくるまでの少しの間に私は少々緊張する。
「もういいかぁーーい」
と言った子どもにとって
「まぁだだよ〜」か「もういいよ〜」
が返って来なければ、その瞬間、かくれんぼという遊びはその子どもにとってトラウマ級の経験になるかもしれないからだ。
だから、「もういいよ〜」が聞こえたときの安心感といったらない。
別に私自身はいじめられた経験があるわけではないが、若干HSP気味で特に聴覚面が敏感なようなので、耳からの情報により強く反応してしまうらしい。
何はともあれ、
【「もういいかい」と問いかければ「もういいよ」と答える人のいるあたたかさ】
を日々感じている今日この頃。