大学卒業するとパッタリ更新しなくなる人いるよね
私は、Twitter、Facebook、InstagramなどたいていのSNSには手を出している。
特にTwitterは高校生だった2010年3月に登録し、アカウントをいくつか増やしつつかれこれ11年も続けている。
11年も続けていると、なかなかTwitterも変化したなと思う。
変化した部分を挙げればキリがないが、広告が増えてしまったことはかなり残念である。Twitterの特徴であるリアルタイム性や素朴なつぶやきを楽しむという醍醐味を阻害されている感は否めない。
また、「お気に入り★」が「いいね♥」になってしまったときは本当にショックだった。ツイートに「よい」も「よくない」もないのだ。ユーザーがコレクションしたい、と思ったツイートをそっと「お気に入り」の箱にしまうのがよかったのに。
ユーザー数の増加で、いいねやリツイートの数がインフレした。以前は、1000のお気に入りやリツイートでも十分すごかったが、今では「バズる」といえば1万以上が当たり前である。流れてきたツイートをしっかり読むかどうか、「いいねまたはリツイートが1万以上」を無意識に基準にして決めているフシさえある。
と、こうした様々な変化を甘受しつつも私が今でもTwitterを最も愛しているのは、やはり140字という文字数制限と「つぶやき」という概念を気に入っているからだ。
ダラダラと文字を連ねられるなら、言葉を見直し厳選するプロセスは軽視されるだろう。文字数制限は、140字以内でいかに自分の考え、思い、気持ちを表現するか、という美学をユーザーに求める。よくTwitterは俳句や川柳、短歌の文化に通じるものがあると言われるが、まさにその通りだと思う。
そして、「つぶやく」という言葉には押し付けがましさがない。FacebookやInstagramが少し苦手なのは、キラキラ、シクシク、ドロドロ・・・様々な感情を友達やフォロワーに見せつけるために投稿されていると感じるからだ。一方、Twitterのつぶやきは基本的に自己完結であり、誰かに見せつけたり反応を期待したりして投稿されたものではない。この点が両者の決定的な違いではないだろうか。もちろん、Twitterにも例外はたくさんあるが、いいねを押すことが半強制的・脊髄反射的であるInstagramとは一線を画していると考える。
今日から新年度。新生活の始まりである。
大学や大学院を卒業した人たちは、新社会人として働くことになる。
私がTwitterでフォローしている大学時代の友人などはほとんどが社会人になってしばらくすると、パッタリとつぶやかなくなってしまった。
コンプライアンス的な問題とか、単純に忙しくて時間がないとか、単調な日々でつぶやくようなことがないとか、別に誰かに知ってほしいようなことはないとか、社会人専用のアカウントを作ったとか、人それぞれ様々な事情があるのだろうが、大学時代はわりと更新していたのにパッタリと更新されなくなったアカウントをたまにフォロー一覧から覗いてみたりすると、すっかり時が止まってしまったつぶやきの累々に出会う。そして、なんだか切ないような気持ちになりつつ、皆大人になったんだね、と誰の目線だか分からないことを思ってみる。
これまでTwitterをやってきた新社会人の皆さんには、忙しい日々が始まると思うが、ぜひコンプライアンス的な問題には気をつけつつ、つぶやき続けていただきたい次第。
キラキラする必要がなくて、結構いいガス抜きになると思うよ。