実る程こうべを垂れる稲穂かな

思ったことを気まぐれに書きます

何かに誓わないといけないのか?

結婚式や披露宴に関しては数年前から思うところが多々あるので、ここで書き殴らせていただきたいと思う。

 

コロナ禍で業績が落ちた業界を挙げれば枚挙にいとまがないが、そのほとんどが突き詰めれば生活「非」必需品・サービスを扱っているといっても過言ではないだろう。

そして、中でも最も衰退した業界の一つがブライダル業界だろう。ブライダル業界はコロナ禍のずっと前から衰退しつつあったが、コロナ禍でトドメを刺されたようなものだ。

 

私は昨年8月に入籍したが、結婚式も披露宴もしていない。いわゆるナシ婚である。仲の良い友人や夫と出会うきっかけとなったサークルの人たちなど、ごく小規模の、食事会同然の場でプレゼントをもらったりケーキを出してもらったりはしたが、数十人以上の規模のものは行っていない(だから厳密には、「ほぼナシ婚」)。

我々も一応、ゼクシィを買ってみたり、式場を調べてみたりと一通りのことは本気で検討してみたが、結局どれも心からやりたいと思うには至らなかった。

 

新車が買えるほどの大金を払い、手間と時間をかけて準備をした挙げ句、本番でやることと言えば、キリスト教徒でもないのにムニャムニャと神に愛を誓い、ファーストバイトとかいう無駄にでかいスプーンで新婦が新郎にケーキを食べさせるイベントをすることになんの意味があるのか。

まして、親族や友人を長距離移動させた上に、新入社員の給料の手取りの6分の1以上にもなるお金をカツアゲし、約3時間拘束しつつ、新郎新婦らとの交流はほとんどない。そんなことは申し訳なさすぎて私にはできないと思った。

 

この業界がボッタクリなのは確かにそうなのだが、私がナシ婚を選んだ理由は金銭面が大きな理由ではない。

足元を見たボッタクリというのはどの業界でも多かれ少なかれ存在するのであり、その金額を支払っても本人たちにとって金額以上の効用が得られるのであれば、経済の原理として誤りではない。

 

私が結婚式・披露宴にはボッタクられるほどの価値がない、と感じた背景には次のようなことがある。

 

 

「人が人生で主役になれるのは人生に3回だけ。そして唯一記憶があるのは結婚式だけ」というのがこの業界の殺し文句のようだが、結婚の挨拶の前に行った美容院で美容師からこの言葉を初めて聞いた私は全く心を動かされなかった上に、こう返答した。

「毎日自分が主役だと思ってるので大丈夫です」

その美容師は「え〜お客さん、そういうタイプじゃないでしょ〜笑」と言ったが、そんなことは意に介さない。

 

冷静に考えて、「人が人生で主役になれるのは人生に3回だけ。そして唯一記憶があるのは結婚式だけ」なんて、そんな人生クソくらえだと思わないのか。毎日とは言わないまでも、日々楽しく幸せに暮らさなくてなんのために生きているというのか。

 

 

じゃあ披露宴はしなくても式だけ挙げてみるか、と思った時期もあったが、ではなぜ特に信仰する宗教のない私がキリスト教神道の神に愛を誓う必要があるのか、という疑問が沸き起こった。

確かに、こういった儀式は通過儀礼として深層心理的な域で何かしらの意味があるのかもしれない。しかし、私たち夫婦にはそんなものは必要ないように直感した。

一瞬の誓いの言葉より重要なのは、日々の言動の積み重ねである。愛ある言動の積み重ねが、やがて振り返ったときに大きな愛となるのではないか。その点私たちはすでにそれができているし、これからもできる自信がある。

…とすれば何者かに誓う必要はない。

 

これまで何度か友人や親族の結婚式に出席したことがあるが、皆一体何を思いながら神に誓いを立て人前でキスなどしているのだろう、と非常に滑稽に感じた。

ともすると、その旨を新郎新婦張本人に尋ねたくなってしまい、衝動を抑えるのが大変だった。

何かに誓わなければ維持できないような愛ならば、それはままごとにすぎないのではないか。

 

 

とにもかくにも、こうした理由から私は「ほぼナシ婚」を選び、小規模の食事会を何度か行ったわけだが、これが非常に満足度が高かった。

一人ひとりとじっくり話ができる上に、お互いの金銭的・時間的負担も必要最小限で済む。

私たちだけが場の中心になるわけではなく、程よいバランスの中にお祝いムードが漂う。

自分たちが主催の場合(幸せの押し売り)と異なり、友人主催の場合、心からの祝意を感じられる。

こうした、無駄な装飾、演出がなく、シンプルに削ぎ落とされた空間にこそ、本質的な幸福が広がることをこの身を持って体感した。

皆、虚像にばかり囚われていないで、もっと本質を見つめてみたらいかが?

 

 

しかし、このご時勢にも関わらず私の周りでもご丁寧に結婚式や披露宴を行う者は少なくない。

やるのは構わんがやるならひっそり厳かにやってくれ。

間違っても遠方の友人にビデオレターなど要求するな。

こちらの祝意は本人たちに十分伝わっているはずだ。

大切な友人なら大きな負担を強いる要求をしないことこそ愛だ。

以前、さほど親しくない友人の結婚式のためにムービーを撮らされたが、その後完成したムービー本体や結婚式の様子を知らされることはなく、挙げ句の果てにその夫婦は挙式の数カ月後に離婚したというお粗末過ぎる話を聞いてほとほと呆れたことがある。招待されなかっただけマシと思うしかない。御祝儀払ってご足労した人たち、乙です。

また、比較的最近では、出演者それぞれが5〜6個ほどの素材を撮影し、それを編集者が編集して一つのムービーにするという大変めんどくさい依頼が新郎新婦の友人とやらからあった。新郎新婦とは親しく、結婚式が延期・縮小されると聞いて個人的に食事をして祝ったばかりだったので、私にとってはさらに蛇足に思えた。しかし、断るわけにもいかず引き受けたが最後、数時間は要するとんでもなくややこしい作業を強いられるに至ったわけである。

以来、ビデオレター系の依頼にはかなり躊躇してしまう。きっとコロナ禍でこういう依頼を受ける人は増えていることだろうと思うが、心中お察しいたします。

 

 

というわけで、本日またしてもビデオレターの依頼がきたので、ムシャクシャして書いた次第。

 

 

 

あ、ちなみにお恥ずかしながら夫というのは、この記事でお別れしていたお相手です。

今、ブログを振り返ってみてこんな記事を書いていたことに驚くくらいには浦島太郎です。 

人生何があるか分かりませんね…。

minotare.hateblo.jp