適応障害になりまして。
一年ほど書いていなかったこのブログ。
今改めて読み返すと予兆しかなくて我ながら笑ってしまいます。
最初っから病んでるやろこれ(笑)。
この4月に仕事で異動になったわけですが、ものの1ヶ月ちょっとで心身の調子を崩しまして、ただいま休職中です。
心療内科で「適応障害」という一応の診断は頂いたわけですが、これは予期していなかったわけではなく、むしろ想定済みの結果とでも言えるでしょう・・・。
だってそもそも最初からこの仕事に「適応」していなかったんですから。
まぁ遅かれ早かれ退職するつもりだったのが、なぜか休職ということにはなっていますが。
しかしなぜ、適応しないまま2年間を過ごせたのか。
それはこの4月の異動だけを望みに自分をだまし、ごまかしてきたからに他なりません。
それと人間関係が良かったというのも大きいですが。
ただ、人間関係が良いからといって仕事自体を好きになれるわけではないですね。
前の職場で、2年後に高確率で異動になると予告されており、異動になればもう少し自分のやりたいことに近づけると思っていました。
すぐにそのものズバリの部署には行けずとも、いつかそこにスライドできるのではないか、と。
しかし異動してみて現実が見えてきたんです。
詳しくは書けませんが、それほどすんなりスライドできそうにはないぞと。
もちろん、与えられた環境でひたむきに仕事に取り組んでいれば、希望を聞いてもらえるようになるのでは、とも考えました。
でも、異動後の職場では、そうやって無理やり望みを見出すだけではこなせないほどの仕事が降って湧いてくるようになり、「なんで私は興味もないのにこんなことをしているのだろう」「なんのためにしんどい思いをしているのだろう」という想いで頭も心もいっぱいになってしまいました。
次第に仕事中、喉がつまったようになり、仕事終わりに職場から出た途端涙が溢れてくるようになりました。
夜は仕事のことばかり考え、不安と焦りで眠れず、少し眠れても早朝に目が覚める。
仕事のことを考えると恐ろしいほどの絶望感に襲われました。
最後に出勤した日には、仕事中にも涙が出そうになりながらなんとか堪えましたが、お昼ごはんは食べられなくなっていました。
異動したばかりということで、慣れればなんてことはないであろうルーチンワークも分からず、物の配置、電話対応、分からないことや困ったことを誰にどういう風に聞けばよいのか、また聞いてはいけないのか・・・などなど、考えることのオンパレードで最後の方はほとんどパニック状態でした。
4月の間こそ、「まだ1ヶ月目だし」ということで周りの方に聞きまくれたのですが、5月に入ってからは、さすがにある程度自分なりに調べてから聞くようにしなければ、と思い、そんな調子でやっていたらどんどん仕事は溜まっていく一方で何から手をつけていいのか分からなくなっていました。
私はもともと言動が比較的落ち着いているように見られるので、パニック状態なのも知られてはいなかったと思います。
だからこそ直属の上司や同僚にも気づいてもらえなかったのだと思います。
また、そもそも皆さん忙しいというのもあります。
それから、コロナの影響で飲みニケーションが全くなかったのも良くなかったように思います。
仕事だけの繋がりだとそれぞれのキャラクターがなかなか見えてこない。
ある程度分かっていれば、この人にはこういう風に対応しよう、この人にはこういうタイミングで話しかけよう、というように対策を立てられたと思うのです。
3月末に歓送迎会はあったのですが、これがめちゃくちゃ形式ばっていて、無礼講とはかけ離れていたため飲みニケーション的な効果はほとんどありませんでした。
なので、人一倍、人の目を気にする私が数十人の職場で逐一「この人はどういう人だろう」「どうやって話しかけよう」「こう思われたらどうしよう」とかやっていたら身がもつわけないですわな。
ま、そんなわけで大学・大学院生活に次ぐ数度目の人生の夏休みを頂いているわけでございます。
最近になってですが、日常生活に関してはだいぶ回復できているように思います。
ただ、復職は99.9999%無理だと思われます。
もうね、2年間よくがんばったよ、自分って感じです。
とりあえず、現時点でこれだけは声を大にして言うことができます。
やりたいことだけをやれ!
やりたくないことはするな!